雑記帳

もう駄目だと思った時の、最後の拠り所です。

やる気が出ない気持ち

私に責任感が皆無であるという話は前にも書いたとおりだ。

 

仕事というのは、「約束を守ること」だという事を最近よく感じる。

あらかじめ約束した納期通りに、あらかじめ約束した事をする。

そして、やり遂げるまでの時間、やり遂げる事の質、あらかじめ約束した対価を得る。

ここに、QCDという三つの要素がある。

三つの要素があるということは、一つの仕事をこなすには三つの約束を守らなければならないということだ。

期日の約束、質の約束、対価の約束である。

 

世の中は大量の仕事が複雑に絡み合った結果としてその日その日を流れていく。

〇〇日までにAさんが〇〇を用意してくれて、▽▽日までにBさんが××の話をつけてくれる、だから□□はいつから始められていつまでに終わって、実際にお客さんに納品するのはいついつになる・・・。

ストレートでつながる仕事もあれば、並列に流れる仕事もある。

そのうち一つでも滞ってしまうと、全体の流れに遅れがでてしまう。

だから一人一人は納期を必ず守らなければいけないし、質も保障しなければいけない・・・。

書いているだけで気が滅入ってくるようだけれど、たったこれだけの事を守る為に世の中の人々は必死に働いている。

どれか一つでも納期が滞ってしまうと、全ての流れに影響が出てしまう。

だから、仕事が出来ない人間に対して世の人々は烈火の如く怒るのだ。

 

仕事にも大小があり、その規模感によって自由度が上がり、責任も重くなる傾向にある。

規模が大きくなればなるほど、小規模な仕事を複雑に絡み合わせて成り立たせる必要がある。

例えば、〇〇日までにこの部品をお客様に納品する仕事、〇〇日までにオフィスの移管を完遂させる仕事、という、中程度の規模のものから、もっと大きなくくりで言うと、会社の利益を〇〇%上昇させる事だとか、組織の人間の満足度を向上させることだとか、一律な答えのない仕事というものもあるだろう。

どんなに答えのない事でも、その仕事を任された人が全体の結果の責任を持つことになる。

思い通りに仕事をする為にはそれぞれの小さな役割をもった人が確実に仕事を完遂させる必要があるので、「仕事の出来る人」が組織に好まれ易いのは必然だ。

また同時に、小さな役割を任された人は、仕事を完遂させることにしっかりと責任をもたなければならない。

そしておそらく、「仕事が出来る人」というのは、「頭が良い」だとか「知識が豊富」だとかそういう専門的な能力の話ではなく、仕事の細分化⇒段取り⇒人の割り当て⇒見積もり⇒全体管理の流れがスムーズに、かつ確実にできる人の事を指している。

専門的な技能や知識はあくまでも仕事の内容に付随するものであって、「仕事」自体の能力はおそらくどんな分野でも共通して、上記の調整能力の事を指しているのだろうと感じる。

「頭はいいけれど仕事はできない」と言われるような人が生まれるのは、こういったことが原因である可能性が高い。

 

要は、どんな境遇であろうと、自分に与えられた仕事は責任をもって確実にこなし、結果を出していれば「仕事の出来る人」となる。

逆に、どんなに内容の軽いものでも、いい加減に仕事を行っていると、簡単に信頼を失うことになる。

頭では、わかっている。

でも、どうしてもやる気が出ない。

この、どうしてもやる気が出ない、という部分が今回の本題だ。

 

小さな仕事も全て大きな流れに繋がっているんだから、一つ一つの仕事に責任を持たなければならない、という意見についてはよく理解できる。

でも、どうしてもいまいち納得感が得られないのだ。

同じ職場の仲間に迷惑がかかるんだから、しっかりやらなければならない、という考えが浮かぶ。

けれど、「迷惑」って何なのだろう?

この仕事を任されたんだから、最後まできっちり責任をもってやり遂げるべきだ、という考えが浮かぶ。

けれど、どうしても自分じゃなきゃいけない理由って何なのだろう?

自分じゃなきゃいけない理由なんていうのは、「その仕事をあなたに任されたからだ」以上のものはない、という考えが浮かぶ。

けれど、じゃあその仕事はそもそも何のためにしているのだろう?どうしてもやらなければいけないものなのだろうか?実はやる必要なんて無いのではないだろうか?

誰が「必要」だって決めたんだろうか?

実際のところは、面倒くさいことはやりたくないという思いから現実逃避の為にこんな屁理屈ばかりを並べているといわれても否定出来ないが、それくらい一つ一つの仕事に対していまいち納得感が得られない毎日を過ごしている。

おそらく、そんな納得感を感じながら仕事をしている人なんてほとんどいないのだろう。

仕事に対する納得感よりも、仕事を完遂することによる社会的な信頼を構築できている実感であったり、社内のコミュニティの広がりであったり、社会的地位の向上を対価として受け取っている事、お金を受け取っている事をモチベーションに、日々仕事にまい進しているのだろうと予想をしている。

なんとなく、それなら頑張ってやろうか、という気持ちになるのは理解できる。

でも、そんなのって全然つまらないと感じる。

これは自分勝手なのだろうか。