繰り返されるメンタル不調
メンタルが芳しくない。
待ちに待った10連休がスタートするということで、昨日の夜はストロングゼロを飲みながら、明日から休みだ!自由だ!という気分を存分に堪能していた。
Lonelyというアプリで見ず知らずの人と下らない会話をして盛り上がったり、ちょっとふらっと遠出してみようかと画策してみたり、これから始まる10日間という長すぎるくらいの自由な時間に思いを馳せていた。
といっても、点点とした予定は入っている為、まるまる10日間自由に過ごせるわけではなく、ライブに備えてドラムの練習をしたり、バンド全員で練習に入ったりしないといけないという趣味という名の義務は存在する。
それでも有り余るほどの休み時間、浮かれていられないわけがない!
ということで、何でも出来るような気持ちになっていたのが昨日の夜の事だった。
それが一転、今は絶賛メンタル不調に苛まれている。
一つの大きな原因としては、昨日の夜飲んだストロングゼロだ。
最近は目に見えてお酒に弱くなってしまっており、ストロングゼロ500ml缶一本だけでそこそこの酔い具合に到達してしまう。
そして極めつけは、次の日へのお酒の残り具合だ。
酔い越しの酒は語るなというが、最近はどれだけ微量のお酒だったとしても次の日に必ずと言っていいほど身体の不調として現れる事になっている。
今日の症状は、ありがちではあるがひどい頭痛だった。
朝6時頃に目が覚め、それからほぼ1日中、頭痛に苛まれていた。
あまりのひどさに布団から起き上がることもかなわず、午前中はずっと床に臥せていた。
しかし、何も口にしないでいては余計頭痛はひどくなる一方であることはわかっているので、13時ごろにどうにかシャワーを浴び、外へ出かけることにした。
二日酔いには肉うどんが良いということで、うどん屋へ車を走らせ、冷たい肉ぶっかけうどんを注文した。
今日は昨日と打って変わって非常に肌寒く、冷たいうどんを注文する私に店員さんは少し戸惑いの色を見せていたが、出てきた肉ぶっかけは二日酔いの身体に染みわたるおいしさだった。
うどんの冷たさが胃に心地よい。
香川県民はうどんを噛まずに飲み込むとよくいうが、のど越しの心地よさもあいまり、噛まない気持ちも分かるなあと思った。
それから行きつけのカフェに行って読書しようと試みるも、依然として頭が痛くて何も文字を読む気にならない。
しばらく無理してKindleの画面を見つめてはいたものの、すぐに限界がきてしばらく机に臥せってしまった。
レモンスカッシュを飲み干してすぐ席を立ち、軽く買い物を済ませて帰宅し、晩御飯を食べて今に至っている。
そして今、未だ頭が痛い。ふらふらする。
何も考える気力も湧かず、身体は今すぐにでも横になって眠りたいと訴えかけてきてはいるが、二日酔いに一日を完全に奪われつつある今、せめてもの抵抗としてこうして筆を走らせている。
大した内容じゃなくていい、ただの日記としてでも良い、何か形として今日一日の足跡を残しておきたい、その一心だ。
それに、メンタル不調の原因を探る手立てにもなるかもしれない。
もう一つのメンタル不調の原因としては、単純に、10連休が案の定暇だという事だ。
一人でどこか遠出しようかと画策してはみたものの、いまいち目的がピンとこないのだ。
何日も家にこもり、読書漬けになるのも悪くは無いが、どうせなら遠出して何か普段できないような体験をしてみたい。
でも、普段できないような体験って、具体的に言うと何なのだろうか・・・?
結局そこから先が何も浮かばず、いまいち行動に起こす気にならないでいる現状にやや絶望し、一人で勝手にメンタルに不調をきたしているのだろう。
要するに、やりたいことがわからない、を今まさに体現しているという事だ。
頭の片隅に、やりたいことがわからないなんて青臭いしダサいな、という声が聞こえる気がする。
でも、わからないのだから仕方ない。
本来ならばこういう時、難しく考えずにとりあえず家を飛び出してみよう!と行動を先行させられる余裕のある人であれば、訳が分からずとも、思いがけない何かしらの成果がきっとついてくるのだろう。
なぜなら、世の中に比べて自分の中だけで完結している世界はあまりにも狭いから。
けれど、私に余裕が無い事は私自身が良く知っている。
行動力溢れる人のマネをして家を飛び出してみても、目的はおろかやりたい事すらも定まらないままでは、あらゆるチャンスを掴み損ね続け、時間と体力を浪費するだけになる可能性が高い。
あくまで経験則ではあるが。
こんな風に、やりたいことが分からない、なんて青臭い事でどうすればいいか分からなくなっている自分に対しても、自信が無くてうだうだと御託を並べては結局行動に移せない自分に対しても、そして、そんな自分に対して「そんなんじゃだめだろう」と否定的な感情を向けてしまう自分に対してさえも、うんざりするような、やりきれないような気持ちを抱いている。
最後の一つは、これはやや言語化が難しいのだが、Youtubeで見られるあるチャンネルの動画を見て、「この人すごく頭悪そうだな」と思ってしまった事だ。
そのチャンネルは自己啓発系の内容の動画をアップロードしていて、チャンネル登録主が視聴者に対して「自分を知るとはどういうことか」を説くものとなっている。
その動画を見る中で、個人的にかなり気になってしまった点が次の3点である。
①抽象的な言い回しばかり多用し、具体性が感じられない点
②Youtuber特有の、言葉に詰まったところを編集でカットし、流ちょうに見せている点(ここで胡散臭さが生まれる)
③明らかにカンペをちらちら見ている様子、どこか自信なさげな様子がうかがえる点
これら三点から、このチャンネルは見る価値が無いなと思ってしまった。
しかし、それでもそこそこ収益を得ている内容のようで、いまいち納得がいかない。
同氏のブログ等を読んでみても、文章や図表の内容が稚拙で、中身もブレブレで抽象的な印象を受け、なぜこの人がそんなに収益を得られているのかが分からなかった。
案の定、支持している層の一部を見てみても、胡散臭い抽象的で聞き心地の良い言葉に吸い寄せられやすいタイプの人間たちが多いように感じる。
あ、これはかなり嫌いなタイプのコミュニティだな、と思った。
似たような人間だけが吸い寄せられ、ある一定の支持を得、それでモチベーション付けられた本人が更にコンテンツに力を入れ始め、その界隈だけでどんどん盛り上がっていく。
だいたいどの分野も同じような経緯を辿るものではあると思うが、このタイプの界隈で厄介なのは、あくまで「似たような人間」ばかりが集まっているが故、支持している側も実はやや相手を見下しているというような状況になり易い事だ。
その証拠に、そのチャンネル登録主のインタビュー記事を読んでみると、あくまで主観ではあるが、どこか小ばかにしているようなニュアンスが感じ取られるものだった。
バイアスがかかっているというのも影響しているだろうが、「持ち上げているように見せている」感のある記事であったように思う。
こうして陰湿に祭り上げるくらいであれば、そもそも最初から興味を示さなければいいのに、どうしてこんなコミュニティが生まれてしまうんだろう、という思いから、ひどく具合が悪くなってしまった。
その状況に関しては、件のチャンネル登録主にも同情をする。
・・・とはいうものの、そんな反吐の出るような状況にありはしても、それでも件の主は実際に行動を起こし、収益という確かな結果を残している。
それに対して自分は、ただそれを端から覗き、くどくどと批判的な意見をこうして吐露しているのみである。
そんな自分を客観視した時に、行動して結果を出している人間と、何も行動せず批判ばかりしている人間の対比構造の真っただ中にいる事を実感し、ひどく情けない気持ちになってしまった。
このように、コミュニティの質に対する嫌悪感と、当事者の境遇の追体験、そして自分に対する自己嫌悪の三つが同時に押し寄せてくる事になるので、この手の胡散臭い人間が祭り上げられている様子を見るのは精神的にかなり負担を強いられてしまう。
以上で、本日の自分の内面を出来る限り言語化したつもりだ。
途中で忘れていた頭の痛みも復活してきた為、この文章を読み返し、何を思うかは明日以降の自分に任せようと思う。