雑記帳

もう駄目だと思った時の、最後の拠り所です。

現代社会の奴隷

休みの日、特に何の用事もないときは苦しい。

何か確固たる自分の目標に対して、何らかの明確なアクションを起こさなくては、とか、とにかく何か楽しいことをしなきゃ、とか、そんなふうに考えてしまうからだ。

 

逆に、平日業務に追われ、心の中で誰に対するでもない悪態をつきながら家に帰り、さあ今から寝ようという気持ちになってふと気がつくと、なんだか凄く安心してしまっている自分がそこにいる。

あれ、昨日までの漠然とした、悶々としたあの不安な気持ちはどこにいったんだろうか?

 

それに対する答えとして浮かぶのは至極単純なことだ。

会社での業務に追われてさえいれば、会社が自分の社会的地位を担保してくれるし、今後も少なくとも食いっぱぐれることはない。

漠然と不安を感じて悶々としているよりも、会社で与えられた役割を全うするため、目の前のやるべき事を片付けていく、という事のほうがずっと生産的でかつ簡単でかつ楽だということだろう。

一人で悶々と、自分の為したい・為すべきことは一体何なんだろうという、脳みその莫大なリソースを費やすわりに明確な答えが何も浮かばず、それに対して更に情けない気持ちになるような、まるで雲を掴むかのような考えなど忘れてしまうのが、精神衛生上一番よいのだ。

 

でも、それじゃあなんだか納得がいかない。

自分の思うところがあり、それを為すための時間を持てないことには、生きている心地がしないじゃないかと思う。

30近くになってまだこんな青臭いことを言っている事実に情けなくもなるが、それが私という人間の真実でもある。

 

自らの確固たる為すべき何か というものをもっともっと明確にするためには、日々の業務に負けず、じっくりと自分自身とその周りを為す社会について考えを巡らす時間をこれからもとり続けるべきなのだろうと思う。