雑記帳

もう駄目だと思った時の、最後の拠り所です。

人と生活をすること

人と生活を送るのは疲れる

 

同じ部屋にいるからには、常に何かしらの会話が生じることになる。

会話をする事に常にエネルギーを使ってしまうので、

無意識のうちにどんどん消耗していっているのだろうか。

 

普段は一人部屋で誰ともしゃべらず、じっと本を読んでいるか

ツイッターを眺めているか、はたまたipadでドラマを見ているかしかしていない。

じっとベッドに横になって、ぐるぐると思慮を巡らしている時もある。

アウトプットが極端に少ないと感じた時は、こうして思い立った時に

文章をただひたすら書き下していくこともある。

そうした中で、ゆっくりと、幾たびも間違えながらも、自分というものの輪郭をなぞり、自分がどういう人間で、どんなことを考え、どんな風に生きていきたいのかについて理解を深めようと日々、暗中模索して過ごしている。

 

様々な人と日々ふれあいをもっていた方が、自分というものを知り、前に進む為の何よりの近道なのであろうという事は、うすうす気が付いている。

それでもとにかく一人部屋に引きこもり、不格好で非効率で、非生産的な日々を過ごし、幾たびも道を踏み外しつつ、幾たびも過去の自分を思い返しては後悔を胸に数時間寝込んでまた起き上がってを繰り返しているのがなぜなのかといえば、人といると疲れるから という言葉によって最も端的に言い表されると思う。

人の話を聞き、自分の胸の内を言葉で相手に伝えるという行為にあまりにもエネルギーを費やし、自分の奥底の本当の気持ちを慮るという事に対してリソースを割けず、自分の内面に関しても外面に関しても誤解をしてしまい、結果その場の空気を薄ら寒い気持ちの悪いものにしてしまう事が多くある。

それでも今、それなりにプライドをもって生きていられるのは、人と会う前に、まず自分の内面を整理し、言語化しておくことである程度うまくいくという成功体験を重ねることが出来たからこそだ。

 

今書いたのは全て自分の事のみであるが、人間関係は自分の事だけを考えているのみでは到底うまくいくものではない。

相手の気持ちも考え、相手の為に何かしてあげる事が、人間関係を構築するうえでとても大切な事だ。

自分の事だけでもいっぱいいっぱいなのに、相手のことについても考えて、それに対して何かのアクションを起こさねばならない。

そんなリソースがこの自分のどこにあるというのか。

 

 

 

朝ごはん、昼ごはん、晩ごはんは何にしようか。

どこかに食べにいこうか。

どこに食べに行こうか。

何を食べようか。

今日はどこかに遊びに行こうか。

明日の予定はありますか。

一緒に〇〇しませんか。

ゴミ出しをしておいて下さい。

お風呂を入れておいてください。

一緒にお風呂に入ろうか。

別々に入ろうか。

温泉に行きたい。

買い物に行きたい。

だれだれと一緒に遊ぼう。

だれだれに紹介したい。

ごめん。

ありがとう。

気にしないで。

洗い物しておいてください。

洗い物しておいたよ。

ありがとう。

どういたしまして。

今日は何か楽しい事はありましたか。

今日の仕事はどうでしたか。

楽しい話はありますか。

何か面白い事はありましたか。

〇〇して遊ぼうよ。

〇〇したほうがいいよ。

〇〇しないほうがいいよ。