雑記帳

もう駄目だと思った時の、最後の拠り所です。

一度に一つだけ

理由もなくとにかく気持ちが落ち込み、どうしようもなく憂鬱な気分の時期と、頭がすっきりして、なんでもできるような気持ちになっている時期と、二つの状態を定期的に繰り返している。

そして今は紛れもなく前者の状態だ。

 

なぜこのような気分になってしまうのか、はっきりとした事は自分でもよく分からない。

ただ、生活のこと、将来のこと、仕事のこと、お金のこと、それらを常にとりまく人間関係のこと、そして、それぞれに起因する自分自身に対する不信感

それぞれのちょっとした歪みが積み重なり、日々の思考の片隅に常に意識され、もやもやした大きなしこりとなって頭の中を圧迫し続けているように思える。

そして誰にも会いたくなくなったり、誰の事にも興味が湧かなくなったり、なんにも良いと思えなくなったり、ちょっとした事で人に対して不信感を感じるようになったり、とにかく余裕がなくなり、そのせいでまた日々の生活の中に歪みが生まれ、自己嫌悪で悪循環に陥っていく、というのがいつものパターンだ。

仲の良い人と一緒に旅行をして心も身体も癒されたり、仕事でしんどい時期を乗り超えて達成感・充実感を感じたり、楽しくお酒を飲んだりして一時的に気分を紛らわせても、ふと気を抜いた瞬間、しこりがじわじわと思考を雁字搦めていき、気が付けばいつも通り気分がふさぎ込んでいき、身の回りの事全てが虚しい事のように感じられてくる。

目の前で起こること、自分がしている行動一つ一つがすべて虚しくなり、心も動かないし、何も手につかなくなるのだ。

 

自分だけがこうなのか、誰でもこうなのかはわからない。

いつも元気ではつらつとしているように見える人達は、一体どうしているのだろう。

そもそもこんな風に虚しさを感じてなんかいないのだろうか。

それとも、ふつふつと湧いてくる虚しさと真っ向から向かい合い、克服したうえで生活しているのだろうか。

実際に本人たちに聞いたわけでもない事をつらつらと思い浮かべ、勝手に劣等感で更に落ち込んでいくようなこともある。

 

一方、ここ最近気が付いたのは、なにか行動や考え事をする時、沢山のことを一度に考えようとしている自分がいて、そうすると心ここにあらずといった具合で、目の前の事に全く集中できなくなっているということだ。

それに気が付いた時、もしかしたら、みんながみんなそうではないかもしれないけれど、少なくとも自分は、一度に一つの事しかできないようにできているのかもしれない、そんな考えが浮かんだ。

私は何かを考えているとき、はじめは何か一つの事について思いを巡らせているけれど、すぐに連想ゲームのように次々と違う事柄が頭に浮かんでいき、気が付いたらその頭に浮かんだ事を全て一度に考えてしまおうとしている。

たとえ一つ一つは簡単な問題であっても、それらが枝分かれに沢山連なっていくと、互いに相互作用し合い、全体としてとても複雑な問題に仕上がってしまう。

その複雑な問題を一度に解こうとしてしまうから、脳のリソースの大部分がそちらに奪われ、目の前の事がおろそかになってしまい、結果、頭の中も整理されず、目の前の事も片付かず、後には何も出来ていない自分と、散らかった思考だけが残されている

そんな状態が延々と続いているのではないだろうか。

最初に浮かんだ簡単な問題一つをまずは解決する。

今自分が取り掛かっている事をまずは片付ける。

そういう意識で日々生活していくことで、頭の中のしこりは少しずつ小さくなっていくのかもしれないと思った。

 

一度に一つだけの事を片付ける。

そういう考えを心がけてみよう、というのが、今回の結論だ。

 

ここで、続けて、私が一度に複雑な問題を解こうとしてしまう傾向がある理由について考えてみる。

なぜそこまで考えるのかというと、「一度に一つだけの事を片付ける」なんていうのは、言い方はいろいろあれど、世の中に蔓延し、様々な媒体を介して私を気が付かないうちに啓発しているはずだからだ。

それでも私が一度にいろいろな事に考えを巡らせ、自分の思考の羅列に雁字搦めにされているというのは、何かしら理由があるはずと思われる。

その理由をきちんと考えておかなければ、今後も同じことを繰り返してしまうだろう。

だからもう少しこの事について考えてみようと思う。

私が一度に複雑な問題を解こうとしてしまう理由としては、何も取りこぼしたくないという気持ちがあるというのが、一つ考えられる。

簡単にいうと、完璧主義だという事だ。

つまりどういうことかというと、何かのきっかけで一つの問題に対して考えを巡らせていると、連想ゲームのように別の問題も頭に浮かんできて、その別の問題によって生じる自分の不利益とは何だろうか、どうすればその問題は解決するだろうか、という風に、次から次に浮かんでくる問題に対し全てに対処しようとするという事だ。

それで本当に全ての問題を解決できればそれで良いのかもしれない。

実際それでうまくいく場合もあるだろう。(おそらく、そのうまくいっている場合というのが、冒頭で述べた「頭がすっきりして、なんでもできるような気持ち」の状態だと思われる。)

 

だから実際には、自分の頭に浮かんだ範囲の問題に対してだけは全て取りこぼさずに対処しようとしているということになる。

知識も見識も浅ければ浅いほど、浮かんでくる問題の数は少なく、はじめのうちは対処しきれるかもしれない。

だが日に日に頭に一度に浮かぶ問題は増える一方で、次第に対処が追い付かなくなっていくだろう。

結果として、何も行動を起こさないまま、目の前の事をもないがしろにして、ぐるぐると頭の中をめぐり続ける傍観者となってしまうのではないか。

これが今私に起きている事であると考えられる。

 

突き詰めていけば「全ての問題」というのは、とてもじゃないが解決しきることのできるものではないだろうことは容易に想像できる。

そして、「全ての問題」に対して考えはじめてしまったが最後、永遠にその思考は終わることが無く、結局何も行動に移すことは出来ないだろう。

だから、上記にあるような「完璧主義的な考え方」は必ず破綻するようになっているのだろう。

私が出来ることは一度に一つだけであり、全ての問題を解決することは不可能だ。

だから、全てが虚しくなり、何も手につかなくなったときは、まず目の前のやるべきだと思われる事に手をつける。

そして、今自分にとって大事な事は何なのかについて考えを巡らせ、一つ一つ片づけていく。

そういう意識で日々を過ごすのが大事なのではないだろうか。

 

「自分にとって大事なことは何なのか」という事をさらっと書いてしまったが、これについてもとても奥が深く、そう簡単に答えが出るものでは無いんじゃないだろうか・・・。

それについては、また別の機会に考えてみよう。

やっぱり、考えれば考えるほど、訳が分からなくなるのかもしれない。