雑記帳

もう駄目だと思った時の、最後の拠り所です。

アウトプットのこと

文章というのは書き始めが一番難しい。

難しいというのは、モチベーション面と内容面、どちらのことも指している。

モチベーション面としては、白紙の画面を目の前にすると、一瞬、あれ、なんで文章を書こうと思ったんだっけ、なんでこんなことをしようとしているんだろう、これがなんの意味があるんだろう、と迷いが生まれるところに難しさがあると思う。

そこから書き始めるためにはそれなりに自分を奮い立たせる必要があるのだけれど、そういうふうにある種無理やり書き始めてしまうと、後で読み返した時に恥ずかしくなってしまうくらいのグダグダなものだったら嫌だな、とネガティブな想像までしてしまって、余計に筆が重くなる。

それでも今書き始めることができたのは、どんな内容であれ、自分で書いた文章を読み返した時、ああ、自分はこんなことを考えているんだ、こんなことを感じているんだ、と再確認する作業の安心感みたいなものをよく知っているからだ。

内容面の難しさとしては、頭の中にいろいろな思いが渦巻いている状態だと、何をとっかかりに何について書き始めるべきか定まらないところにあると思う。

普段アウトプットらしいアウトプットを出さない生活を送っていると、様々な日々感じたことや、自分の思いというのが蓄積されていき、それらが複雑に絡まりあってしまうことにより、だんだん自分がなにを考えているのかがわからなくなっていく。

ひとつひとつの内容は、取るに足らない他愛もない事だ。

職場の人の何気ない嫌味な一言にイラッとしたこと、世の中の創意に溢れた製品の構造を学び感心したこと、四月に入り花粉症が悪化して、鼻をかみ過ぎて肌がぼろぼろになったこと、仕事をするうえでの姿勢、モチベーションが未だに今ひとつ定まっていないこと。

思いや出来事が蓄積されていく一方で、全く整理が出来ていないのだと思う。

会話すること自体が億劫なので、誰かに話して整理するということも出来ない為、余計その傾向が強いのだろう。

今こうして文章を書き始めたのは、自分は一体今どういう気持ちなんだろうという事をできるだけ客観的に見ようと思ったからだ。

ここまで書き上げてみると、抽象的な内容になってはいるけれど、ある程度は頭の整理になったような気もする。

全然関係ない話ではあるが、抽象と具体の関係で最近気づいたのは、自分には具体性の面が足りていないということだ。

ずぼらな性格もあいまり、昔から物事を大枠で捉える癖がある。

具体的に捉える、というのは時間の無駄であり、抽象的にさえ理解していれば具体性はいくらでも後付けできるだろうという考えがあったからだ。

だけど、抽象的な面は基本的に頭の中にしか存在せず、実際に人が手を動かす為には具体性が無ければならない。

抽象から具体へ落とし込む作業にはとても時間とエネルギーがかかるから、具体的な内容を予め知っておく事が、生活する上ではとても効率が良い。

そんな簡単な事だけれど、最近の中で一番大きな気づきだったので、ここに一旦走り書きしておく。