雑記帳

もう駄目だと思った時の、最後の拠り所です。

料理、はじめてみました

自炊というものを今までほとんどしてこなかったのだが、二週間ほど前にふと自分で作った料理を肴に晩酌をしてみようと思い立ち、夜の8時を回っていたにもかかわらず献立を考え、材料をリストアップし、近所のスーパーへ車を走らせた

この間先輩が茄子の煮浸しが美味しかったと言っていたな、よし、作ろう

このえのきのベーコン巻きって簡単で美味しそうだな、えのきはあるからあとはベーコンがいるな

大葉も巻いてみよう

シーフードミックスが余ってるからアヒージョにしよう

アヒージョにはバゲットが必須だよな

洋風っぽくなってきたからお酒はワインにしよう

日中これといった行動もせず泥のように過ごしていた反動で、唐突な思い立ちにもかかわらず、自分でも驚くほどの行動力が湧いていた

便利な世の中になったもので、アプリを使えば料理の動画とレシピがすぐに調べられる

料理に関して完全に素人ではあるが、見様見真似でもそこそこ悪くない料理がいつのまにか出来上がっていた

茄子の煮浸しになすを丸々二本分使ってしまったのもあり、全体としてはかなり量が多めであったけれど、自分で作り上げたんだという達成感からか、難なく平らげてしまった

 

そんなことがきっかけとなり、週末になると何かしらの料理を作るのが楽しみになってきている

どうせ週末にやることといえば布団の中でひたすら身体を休めるか、持ち帰った仕事をするか、行くあてもなく外出するかしかない

布団の中で時間を無為にしたり、外出先での食事やカフェでの一休みに逐一お金を費やすくらいであれば、自分で食事を用意したほうが金銭的にも精神的にも豊かな行為であるように思う

事実として、カフェで食事をできる程度のお金で食材を買い込むことができるし、料理をしているという事実だけで何故だか、今、自分は立派に生活できているんだ、というような自信が湧いてくる

必要な食材を準備し、なるべく無駄がないように段取りを考え、あとはひたすら切る、茹でる、炒めるなどの作業をこなしていく

淡々と作業を進めているだけではあるが、野菜の水々しい感触、野菜を切った時や炒めている最中の香り、調味料や熱を加えると時事刻々と変化していく見た目、身体に伝わってくる熱や煙、油や水分の弾ける音、フライパンの上で踊るように跳ねる食材、料理の最中に感じられるそれら全てが、生活している実感として伝わって来るように思う

そうして出来上がった料理は美味しいし、お腹も満たされる

もし味や段取りに改善点があれば、次はもうちょっと麺つゆを増やしてみようだとか、前日から仕込んでおこうとか、様々なアイデアが浮かんでくる

こうしてみると、料理という行為には、計画、実行、確認、改善の四つの要素が明確な形でかつさりげなく配置されているのではないだろうか

料理という過程を通してその四つの要素を着実に進めているという実感が、楽しい気持ちをもたらしているのかもしれない

 

美味しいし、満たされるし、楽しい

 

これからも休みの日、どうしようもなく落ち込んできた時には、何か食べたいものを思い浮かべ、自分で料理していこうと思う

次は何を作ろうか

考えるだけでわくわくしてくる