雑記帳

もう駄目だと思った時の、最後の拠り所です。

それでも、生きてゆく

私は「きちんとした人間」にはなれそうもないのかもしれない

 

 

責任を伴う仕事が舞い込んだ時、それを背負いきる精神的な体力に欠けているのだと思う

どんな人間関係を持っていても、多かれ少なかれ何らかの責任が常に発生してくるものだ

一緒に遊んだり、イベントを企画したり、何らかの役割が与えられれば、そこには必ず責任が伴う

私は、そういう責任というものに過敏にアレルギーを感じてしまうようだ

 

 

思い返すと、定期的に人と距離を取り誰とも連絡を取りたくない時期がやってくる事がある

人間関係にかかわる小さな責任が塵のように積もり積もって、その結果重みに耐えられなくなり全てを投げ出してしまいたくなるのだ

そういう時期は二、三回は経験しているが、今まさに改めてそういう精神状態と化している

一つ一つは些細な事だ

遊びに誘ってくれる友人からのラインを未読無視したり、イベントの出演依頼を未読無視したりといった具合だ

「こんな事しなくても生きていける」という考えのもとでそういう状態に行きつくのだけれど、最近うすうす感じるのは、このままでは生きて行くことが出来なくなるのかもしれない、という危機感だ

人は一人では生きていけない

決まり文句のように聞こえる言葉だけれど、実際のところ、人は一人の力だけで生きているのでは決して無い

こうしてどこにもぶつけようのない自分自身の中の葛藤をぶちまける為にだけ使っているはてなブログも、通信のインフラも、パソコンも、身の回りのありとあらゆるものはどこかの誰かが自分自身の役割を全うした結果として私の手元に届いている

そう考えると、ある日唐突に連絡が取れなくなったり、役割を放棄するような自分という人間は、この社会にとって本質的に何の価値も無いように思えて仕方ない

かろうじて仕事を続けているおかげで収入はあるし、お金のおかげで人間らしい生活を担保されている

でもそれは、どこかの誰かが必死になって作り上げた資本主義のシステムのおかげであって、私は少しでも社会の基盤が揺らいだ瞬間、真っ先に切り捨てられて然るべき人間なのかもしれない

仕事もいうなれば人間関係の延長線上だ

今はプライベートにおいてのみ発生するこのリセット癖も、仕事で発生しないとは言い切れないだろう

むしろ発生するのは時間の問題だと言ってもいいかもしれない

私はいつか本当に、駄目になってしまうのかもしれない

 

他人から見た時の事を考えると、急に連絡が取れなくなる私という人間はかなり不快な印象なのだろう

腸が煮えくり返るような思いをしている人がほとんどかもしれない

特になんとも思わない人もいるかもしれないし、あっさりと見限っている人もいるかもしれない

人間として終わっている、なんて思う人もいるのかもしれない

少なくとも、肯定的な印象を持つ人は皆無だろう

 

失踪した人は毎日残してきた人間たちの事を思い浮かべるという話を聞いたことがあるが、それに近い精神状態なのかもしれない

これは、悦に浸っているのだろうか

それとも、自己嫌悪の念から自傷行為としてその人達の事を思い返しているのだろうか

少なくとも正常な精神状態ではないだろう

出来る事なら全部リセットしてなかったことにしたいと願うが、そんなことは出来そうもない

ただ連絡を返さなかっただけなのに、それにより生まれるネガティブな感情はあまりにも多いと感じる

理不尽だ、と思う

 

全ては結局、「自業自得」という言葉で片付くのだろう

人間関係は、連絡を返さないだけで簡単に崩れ去る

連絡を返さないという行為はとても簡単だ

ただ、時間が過ぎるのを待っていればいい

そんな簡単な事で、今、非常に苦しんでいる自分がいる

滑稽だと思う

結局、何が書きたかったのかもよく分からない

文字にして書き下すことで、この現状に何か希望を見出そうとしたのかもしれない

でも、今こうして文字に起こしていると生まれてくるのは、自己嫌悪と後悔の念ばかりだ

全く前向きな気持ちにならないまま、時間だけが過ぎていく

体調も悪い

救いようもない自分自身に嫌気が指している

常に何か悪いことをした気分で縮こまって生きて行くのはもううんざりだ

そう思うのであれば、身の振り方を決断するべきなのかもしれない

責任を果たさないという事は、誰かに迷惑をかけるということだ

迷惑をかけた人には、顔向けが出来ない気持ちとなる

何のためにそんな気持ちになるのかというと、これ以上、迷惑をかけた人を不快にさせない為だ

これ以上その人を不快にさせない為には、自分のみじめな姿を見せるか、相手にそれ以上の価値を与えるかが考えられる

縮こまって生きて行くというのは、前者の選択だ

これはとても簡単な事だ

ただ、縮こまって、みじめに見せていれば良い

反省しているんだ、と思わせれば相手もこれ以上何も言ってくることは無い

自分を守るために、みじめに見せるのだ

後者の選択は、前向きなものだ

と同時に、とても難しいことでもあるだろう

価値を与えるには、まず需要が必要だからだ

タイミングを見計らって、確実に価値を与える必要がある

ただ、本質的にもこの選択が一番相手にとっても自分にとっても良い選択であるように思える

私はこれからどういう行動を取るべきか、という点について

世の中、二元論で語ると破綻するものだ

だから、前者と後者の間を取る

傲慢にもならず、卑屈にもならず、悪い事をした事に対して反省の意を示し、相手に与えられる価値について考える

それが私の考える正解だ

今、私が堂々と生きて行こうと思う為に唯一考えられる方法だと思う

 

記事のタイトルは坂本裕二脚本のドラマのタイトルだ

身内から殺人犯が出てしまった家族と、被害者遺族の話

そのうち、前者の身内から殺人犯が出てしまった家族について印象が残っている

許されない罪を背負った、背負わされた人間がどう生きるのか

特に私自身は法を犯すような罪は何一つ背負っていないけれど、罪悪感とどう付き合っていくのか、という事を考えた時にふと思い出したので、このタイトルとした

今背負っている問題について、何も解決なんかしていないけれど、頭の靄が少しだけ晴れたような気がする

まだ腹の中に引っかかるようなものは沢山残っている

これはきっと、行動することでしか解消することは出来ないだろう

 

今日はもう寝よう